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日本のタクシーの歴史を解説!100年以上の歴史の背景にあるものとは?

2020年08月08日

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日本のタクシーの歴史を解説!100年以上の歴史の背景にあるものとは?
100年以上の歴史を持つ日本のタクシー。いつから始まったのか、今のタクシーはどのようにしてできあがってきたのか、気になっている人もいるかと思います。
今回は日本のタクシーの歴史の始まりから現在までをまとめて紹介します。タクシーの歴史に興味がある人は、ぜひ参考にしてみてください。

日本のタクシーの歴史


それでは日本タクシーの歴史を、始まりから解説していきます。

始まりは1912年(明治45年)

日本のタクシーの始まりは、1912年7月10日まで遡ります。京都千代田区有楽町に「タクシー自動車株式会社」が設立され、同年8月5日から営業を開始しました。
始めはアメリカ製のT型フォード6台で運行していたそうです。料金メーターを搭載しており、「辻待ち自動車」と呼ばれていました。
上野駅と新橋駅を拠点に営業し、1マイル60銭、以後0.5マイルごとに10銭を加算していくシステム。これが日本のタクシーの歴史の始まりであり、現在でも8月5日は「タクシーの日」に制定されています。

1914年以降全国に普及

1914年になると、東京駅の開業や第一次世界大戦の開戦もあり、タクシー業界は盛り上がります。そして全国でタクシー会社が次々と設立されるようになりました。しかし、料金形態がバラバラで苦情が殺到。
これを受け大阪市では、1924年に1円均一タクシー(通称:円タク)を導入します。その2年後には東京都でも円タクが運行されるようになり、タクシー業界は発展をしていきました。

石油資源の確保で規制が厳しくなる

1931年の満州事変により、日中の関係が危ぶまれる中、石油会社が値上げを発表します。
1938年になると、警視庁がタクシー営業のルールを制定(最低基準車両50両)し、多くのタクシー業者が廃業、または統合することになりました。
その後、第二次世界大戦が勃発し、石油資源確保のためにタクシーの流し営業が禁止になります。そのため戦時中は、木炭などが燃料として使われるなど苦しい状況が続きました。

戦後のタクシー業界は大荒れ

戦後1950年代になると、自動車の性能が上がり「神風タクシー」が世間を賑わせるようになります。
「神風タクシー」とは、粗暴運転や乗車拒否、不当請求などを行う悪質なタクシーで、交通事故も増え社会問題となりました。
「神風タクシー」が増えた理由は、会社から無理なノルマを科され、無理やり売り上げを作ろうとする運転手がいたから。
そのため行政は個人タクシー(1人1車両、二種免許)の制度を作り、「神風タクシー」を一掃しました。
1970年になるとタクシー業務適正化臨時措置法が施行され、東京や大阪ではタクシー運転手を登録制にします。それに伴い、タクシー近代化センターが設置されました。

タクシーのドアが自動になる

日本が自動ドアになるまでは、助手席にも乗務員がいて、その人がドアの開閉やお手伝いをしていました。
しかし高度経済成長でタクシー需要が高まると、運転手から「運転席でドアが開閉できたら嬉しい」「乗客がドアを開けて後続車と接触するトラブルが絶えない」という声が出るようになります。
そこで愛知県のトーシンテック(現在国内シェア9割)が開発に乗り出し、自動ドアを販売まで漕ぎ着けました。
ところがタクシー業界は「自動ドアは贅沢だ」「楽をするなんてみっともない」という考えが根付いており、導入するタクシー会社は少数でした。
しかし1964年に東京オリンピックの開催が決まり、タクシーの需要が高まることが確実になります。
その結果「ここで日本のタクシーのおもてなしをアピールしよう」と考える会社が増え、自動ドアが一気に普及しました。
そこからタクシー業界はサービス競争が始まり、全国的に自動ドアが当たり前になったのです。

料金の多様化が進む

1992年の第3次臨時行政改革推進審議会を受け、1995年運輸省は料金の多様化を進めます。東京地区では遠距離割引運賃や時間指定予約料金、時間制運賃などが設定され、需要が拡大されました。
また1999年になると利用者の安全面を考え、一定の条件を満たす人しかタクシー運転手に参入ができない許可制も制定されました。

運営体制も進化していく

近代化が進むタクシー業界は、運営体制も多様化していきます。
1999年には「介護タクシー」の開始。2008年には東京のタクシーで「全面禁煙」。2010年には「羽田空港定額運賃制度」の開始。
2011年には電気・ハイブリッドタクシー乗り場が開設されるなど、多様化をみせています。
今後もタクシー業界は進化を続け、利用者に寄り添った運営を続けていくでしょう。

タクシー生誕100周年

2012年にタクシー生誕から100年となりました。同年にはスカイツリーの開業で国内外から観光客が押し寄せました。

相乗りタクシーの解禁が控えている

タクシーの相乗りは法律上禁止されています。タクシーは1回の運送につき1つの運送契約が結ばれるという法律があるため、運転手は乗客一人とした契約が結べません。
そのため現時点では、相乗りは法律上禁止となっています。
しかし規制の緩和により、相乗りタクシーの解禁が発表されました。この相乗りタクシーは2019〜2020年に解禁予定でしたが、新型コロナウイルスの影響もあり、開始時期は慎重に検討されています。
ただし一部の地域では実証実験を行っているため、地域によって利用できるケースもあるようです。
【関連記事】
タクシーの相乗りが解禁へ!仕組みや料金形態について詳しく解説

タクシーの歴史に関する雑学


ここまでタクシーの歴史を解説してきました。しかしタクシーにはまだまだ面白い歴史が存在しています。そこでタクシーの歴史に関する雑学をまとめてみました。

大阪のタクシーの8割が「黒タク」な理由

日本にはさまざまな色のタクシーがありますが、大阪では約8割のタクシーが黒色です。それでは、なぜ大阪のタクシーの多くが黒タクシーなのでしょうか?
今でこそ一般タクシーとして運行している黒タクは、もともと高級感を出すために始まったサービスです。
経験豊富な「上級乗務員」の資格を持つ運転手しか乗れないタクシーで、おもてなしや冠婚葬祭などで使われていました。
そして関西の人は、高級感があるものが好きなので、現在でも黒タクへの憧れを持った人もいます。そのため大阪では乗車率向上のために、黒タクが多いと考えられています。

「助手席」はタクシー用語

みなさんが日常的に使う「助手席」という言葉。実はタクシー業界の用語です。昔は着物を着た人が多く、乗車や降車をお手伝いする人が必要でした。
そのため運転手の隣に「助手さん」と呼ばれる人が乗車していました。そこから助手席と呼ばれるようになり、一般人にも浸透していきました。

この記事を書いた人

木村 啓喜

木村

株式会社ピーアール・デイリー(厚生労働省認可 有料職業紹介事業許可番号13-ユ-305520)所属。入社17年目。P-CHAN TAXIのキャリアアドバイザーとして、多くのタクシー求職者を転職に導く、タクシー転職のプロ。日本全国のタクシー会社の営業も担当。
車の運転好きで、次の転職先はタクシー会社と決めている程、タクシーの仕事をこよなく愛しています!

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